スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『ロスト・イン・トランスレーション』(100点/100点満点中)

 東京は、哀しい。
 こんなに人がいるのに、誰とも知り合うことはなく一日は終わってしまう。

 その根源的な絶望が、新宿にある。渋谷にもある。
 それに慣れることはない。それについてどう思うかと友人に訊ねることはできない。これは一体どうすればいいかを親に訊くなんてこともできない。ましてや恋人に訊ねられる質問でもない。

 あるいは伝えようとしても「なんかバカバカしいことかもしれないんだけどさ」という前置きを臆病にも置かざるをえない。ほんとうはバカバカしいとは全く思っていないのに。
 言葉にすると感情は常にその真実性や色彩や温度や湿度を失う。決定的に。青と言っても数万通りの青があるように、伝えたいことは常に伝わらないことばかりなのだ。それを引き受けられないから、人は人と別れ、出会い続ける。それを失わなくて済む相手を見つけるまで。それはひとつの不断なき戦争のようである。だから虚しい。なのに、戦う価値がありすぎる価値なのだ。
 
 それを映像で描くという最高難易度の離れ業を、この映画はやって見せた。
 ゾッとするほど淡い、外国人男女の東京の数夜の話である。

 新宿のパークハイアットホテルになんとなく泊まったスカーレット・ヨハンソンは、まさに東京の憂鬱を言葉にできない。同泊する夫の仕事は多忙そうで話し相手にはならないし、友人との電話でも相手にしてもらえない。
 
 新宿がそうであるように、やがて彼女も不眠症になる。
 
 知らない街で初めて一人暮らしをした時のあの途方もない絶望感が、優しい音楽で増幅し、映像全体に溢れる。
 一方なにもかもに疲れ切ったビルマーレイも、同じホテルで同じ思いを感じていた。家族に、仕事に、そして東京に。

 お互い既婚者である。
 そしてお互い、見ること、そして見られることに、疲れ切っている。

 新宿のパークハイアット内にあるニューヨークグリルでふたりは初めて会話することになる。

 このバーは一杯五千円くらいする日本でも最もエクスペンシヴな、と同時に絶望的にスノビッシュな日本の男が日本の女を口説こうとする場でもある。金土日はジャズボーカルが些か爆音でライヴをしているが、そこはかとなく贅沢なのにそこはかとなく空虚なバーでもあり、公開から十数年経ってもこの映画の影響でこのバーを訪れる外国人はやむことはないらしい。

 しかしこの映画は、まさに日本人が見るべき映画なのだ。

 どの登場人物も自分の言いたいことをうまく言えない。
 このふたりも、あと一歩踏み込めばそれが恋愛になってしまうことを知っている。
 だからふたりでベッドで寝てもそういうことにはならない。なれない。

 この映画のラストシーンは、まさに恋愛映画の頂点のシーンとなる。
 ビル・マーレイが告げる台詞は、誰も聞き取れない。
 もう二度と会えないと分かりながら新宿を去るふたりは、そこで永遠を獲得するのである。

 東京は、哀しい。
 だからこそ好きだ、と思える映画だ。
スポンサーサイト

Profile

F

Author:F
Mail:gokushitekimovie@gmail.com

最新記事

検索フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。