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『さくらん』(65点/100点満点中)

 現代写真史の潮流をその百花繚乱の色遣いで一度断絶させ、写真を撮るということを一気に女性の表現行為へと奪還した蜷川実花は、たとえば本屋にある彼女の写真集を見ても、なにより男の趣味も女の趣味も良い。どう撮れば美しいか、莫大の試行からもう分かっているのである。
 なんだか可愛いだけの女は自分の写真や映画には撮らないという意志も強く感じる。

 そんなシンプルなフェミニズムと、女を売っても心までは売らない花魁文化との相性は最高である。

 蜷川実花はきっと賢い。売れる、ということを知って、売れたと思われる。この映画の主人公のように「なにを、どうすればいいのか、最初からなぜか知っていた」と思われる。
 狡猾な計算ができるからだろう。そんな計算が、器用すぎて腹立たしいほど、小綺麗である。土屋アンナの江戸っ子のような暴れようとその絵作り、さらりと出てくる豪華な脇役、木村佳乃のセックスシーン、椎名林檎の楽曲に支えられ、一作目なのに全く違和感のない女のための邦画というものが出来た。それが本作である。

 右も左もわからない処女が身売りされ、花街の真ん中に買われる。
 脱走を図るも二度と子供の自分は世間には戻れない。
 そののっぴきならぬ状況を飲み込み、煙管片手に花魁として花咲くまでの恋模様が描かれる。寄ってくる男に惚れるも、その言葉や行為や未来に絶望し、本気で愛しては本気で投げ出す。身体を売るがゆえに、純は保たれたまま、傷つく。土屋アンナの奔放で高潔な女性像は新しい。

 当時の花魁も、当時の花魁らしくなさが今では花魁らしさとして認識されるに至ったのだろうか。
 かっこいい女がただただかっこよく映る正義は、なにものにも代え難い。
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