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『プロジェクトX』(96点/100点満点中)

 あたかも真面目な真面目なNHKの特別番組のような映画タイトルに騙される。が、内容はその真逆だ。数千人規模で男と女が泥酔して町一個が火の海になるまで騒ぎ倒す若者の若者による若者のためのパーティーの映画であり、友情ありセックスあり失恋あり麻薬あり家族愛あり動物虐待シーンありの超最高の痛快劇である。

 主人公はスクールカーストの最底辺の男三人。
 生粋のガリガリ体型の草食系童貞とモテないチャラ男とデブオタクである。革命を起こすのに最適の人材が揃っている。

 童貞の誕生日に合わせて、モテないチャラ男の親友はバースデーパーティ、プロジェクトXを企画する。
 しかし頭の中にあるのは最高の女とヤリたい、ただそれだけなのである。

 童貞の両親は結婚記念日で家にはいない。
 しかしこの童貞、親からは「確かにいい子だが、友達なんて数人くらいしかいない負け組」と隠れて言われていて、しかも誕生日プレゼントには母親が使い古したミニバンが贈られるという、親からは舐められ切った童貞であり、それでも親を愛する涙を禁じえない親思いの少年である。

 彼がパーティに呼びたいのは、片思い相手の幼馴染くらいだった。

 しかしモテないチャラ男はパーティの成功のため、謎の人脈をフルに使い全校生を誘う。さらにはラジオ番組にまで宣伝をかける。そのパーティは前代未聞の規模で行われることになるのだが、という物語。

 アメリカのスクールカーストをテーマにした映画は多い。
 JOCKSからNERDまで様々なキャラクターがいて、そして監督の出自は大抵NERD、つまりオタク、最底辺なのだ。従ってスクールホラー映画で真っ先に死んだり酷い目に遭うのはアメフト部かバスケ部と相場が決まっている。
 しかしこの映画は違う。オタクが作ったスクールカースト革命物語である。
 アメリカ人にとって、パーティをオーガナイズし、客を悦ばせること、そのサービス精神と度胸がいかに重要視されるか。そしてその延長線上にある、「エンターテイメントは激しくやって当然」という文化価値観は彼らが映画産業をほぼ軍事産業クラスのドル箱にした原点であるといえよう。映画とは、全員が酒を持ち寄って騒ぎ倒すひとつのパーティーなのである。

 ド派手なクラブフェスと同じく爆音と爆乳と乱痴気騒ぎが真夜中の閑静な住宅街を、体感治安最悪の暴徒の街へと変えていくのは痛快極まる。警察が来たので数千人で裏庭で声をひそめるシーンなどは笑いが止まらない。
 家のそこら中で踊る老若男女、家具がぶっ壊れ理性もぶっ壊れ、べろんべろんに酔い潰れていく人間を見ているとウオッカボトルを一気飲みしたくなる感じである。

 この騒ぎがいつか終わる、その刹那の速度は楽しいのにどこか切ない。

 友達と見ても楽しい。恋人と見ても楽しい。

 金曜日の夜にふさわしい映画である。

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『へルタースケルター』(65点/100点満点中)

 日本一スキャンダラスな女は沢尻エリカである。その彼女が「別に」問題で騒がれ、さらには離婚問題で騒がれた時、マツコデラックスは「こういう自由奔放な女の子がただただ好き勝手してるのって最高だと思う」という旨の最大限の肯定と賛辞を送った。沢尻エリカはたぶんそんなことを言われたとはつゆにも知らないのかもしれない。し、言われてもなんとも思わないのかもしれない。なぜなら彼女にとっては自明のことだからだ。
 だが私はそれがとても心に残っている。

 映画ヘルタースケルターは、自由に生きようとして、その自由に潰される女の話だ。

 整形手術を繰り返し、絶世の美貌を手に入れた彼女は、ファッション雑誌の表紙をすべて飾るような誰もが憧れるモデルになる。
 しかしその顔は、あまりに過酷な手術のため、やがて崩れていく。
 そしてライバルのモデルが現れ、肉体と精神の両面で追い詰められていく地獄展開。

 沢尻エリカはしょっぱなから裸である。
 これが女のための映画なのだと宣告せんばかりだ。

 沢尻を管理監督するママ、マネージャー役の桃井かおりの素なのか演技なのか分からない熟しきった魅力は、まさに沢尻エリカが将来的に絶対的に必要とするなにかであり、その違いは劇中抜群に際立つ。ノリでやってきてセックスして帰るだけの窪塚洋介も最高である。窪塚洋介はセックス要員としてあらゆる邦画に出てもらってもいいくらいである。
 そうして現れる水原希子は、アッ、という感じだ。いくら水原希子が嫌いな人間でも、沢尻エリカと見比べた時に感じる、沢尻エリカじゃ勝てない感は衝撃的である。並列に置かれてはならない女同士というものは存在するのだ。

 この映画は、そんな女たちの闘争を面白おかしく笑えるか笑えないかで随分変わってくる。
 整形している人口は決して少なくはない。足りるを知ったならまだしも、いまや美容をアイデンティティにする女は多い。本当は逆なのに。
 
 もう一つ気になった点がある。
 監督はカメラを通してモデルを生かしながらも、一方で殺そうとしているのではないかという疑惑に私は駆られた。カメラは相手が腐っていくパーツや、その変遷をなにより明白に記録する媒体である。シャッターを押されるたびにそこに希釈された殺意を差し向けられるモデルは、その無数のシャッター音の奥に「最も美しい内に死ね」という幻聴を聴くだろう。

 今思えば、自撮りとは、自殺願望に近いのかもしれない。

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