スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『ドン・ジョン』(88点/100点満点中)

 身体目当てだったのかと女が怒るのを見て全ての男は反論に戸惑うはずだ。身体目当てではない男なんてはたしているのだろうか、と。身体目当てではないことは永久に手を出さないことでしか証明できない。それはそれでやばいくらい退屈じゃないかと思うはずだ。
 あるいはまた、男はどうしてAVを見るのかと女が訊いてきたとする。もちろん見たい夢が見たいからだ。そして夢を見たあとの現実は常に虚しい。賢者タイムだなんて言うが、あの虚しさはそんなポップな言葉で表せるものではない。虚しくなるなら最初から見なければいいのに、どうせ次に見た時はもうそれを忘れている。ちなみに男性は一日十二回以上自慰を繰り返すと死ぬらしい。

 一日なんども夢を見ては虚しくなる、そんな男の中の男がこの映画の主人公である。
 見ようによっては全盛期の窪塚洋介に似てなくもない、ジョセフ・レヴィット=ゴードンは綿棒のような体型から鍛え上げたマッチョイズム剥き出しの身体でクラブに行き、ナンパし、セックスし、それでも飽き足りないのでポルノを見て、爽快な面持ちで愛車でジムに行き、教会に行く、というアメリカの古き良きヤンキーそのもののアホな男でである。

 そんな彼も恋をする。
 相手役のスカーレット・ヨハンソンはどこからどう見ても最高で、男はありとあらゆる性欲、ならぬ誠意を尽くす。
 ヨハンソンは映画鑑賞が趣味の乙女だ。ポルノなんて大嫌いな女である。

 しかし彼はそれでもポルノを見ることがやめられない。
 ヨハンソンに言われて無理やり通うことになったスクールの授業中もポルノを見てしまう。
 ある日、その学校で出会う、もう一人の中年の女と出会いが、彼の人生を変えてしまうことになる。

 突き抜けたコメディ。しかし、死ぬほど真面目な恋愛映画でもある。

 ポルノによっても満たされることのないポルノ依存症の男が、本当の愛を見つけるまでの俳優陣の演技合戦は、今日もこの国のどこかで繰り広げられてる喧嘩を思い起こさせて楽しい。なのに切ない。男と女の距離の断絶はまさにこのポルノという三文字が引き起こし拡大している。それに終止符を打つのは誰のなにが必要なのか。ジョセフはこの映画の監督と脚本も務めており、もう次回作が楽しみでならない。一見の価値がある、極めて常識的な性道徳の映画である。
スポンサーサイト

『キャリー』(40点/100点満点中)

 自由に物体を動かせる超能力者であり、そしてハイスクールの虐められっ子でもある女の子をパーティーで虐めたら、町が一個つぶれちゃいました、という牧歌的な勧善懲悪の古典映画『キャリー』のリメイクが、クロエ・モレッツ主演で公開された。
 予告編でオチまで描かれている。そして誰もが粗筋を知っている。そんなホラー要素が最初から台無しのホラー映画であり、いったいどこにやる意味があったのかと疑いたくなるリメイク映画でもある。それでも金を払って見に行ったのはなぜか。当然、刷新されたキャストへの期待からである。
 しかしキャストの期待は、とっても良い意味で予想以上に裏切られたのである。
 
 まず金髪のクロエだが、いじめられっ子には、ぜんぜん見えない。
 運動のできる、そしてどことなくリーダーシップのありそうな明朗な女の子しか持てないような、しっかりとした美しい肩幅は、どんなに臆病そうな女の子として廊下を肩をせばめながら歩いたとしても、いじめっ子の肩幅よりも威風堂々としており、その後ろ姿は臨戦態勢が完ぺきな女そのものである。アーノルド・シュワルツネガーが老人ホームでいじめられるという絵が持つ説得力はゼロである。それと同じことだ。クロエがどんなにダサいネルシャツを着ようが、サイズのだらしないジーンズを着ようが、やっぱりその後ろ姿は『キック・アス』なのである。いじめっ子よりもはるかに可愛い点も、シークエンスの説得力をゼロにさせる恐ろしい構図である。

 しかしこのクロエの抱えた重大な瑕疵たる論理矛盾を、大幅に上回るめちゃくちゃ面白い人物が出てくる。

 それは、このクロエに悪魔的要素を付加してしまう原因の一端ともなってしまう、クロエの母親である。
 「初潮が来たの?悪魔に魂を売ったのか?早く神に謝りなさい」とまで娘に言うくらいの、クレイジーな超原理主義的宗教崇拝者の母親は、とりあえず都合が悪くなると自家製の祈祷室にクロエを閉じ込め、神に祈りながら、壁にバンバン頭をぶつける。このシーンだけで千八百円を払った価値があった。逆を言うなら、このシーンがなければ、全くこの映画が作られる意味がなかったと言える。
 娘のために祈れば祈るほど、悪魔になっていくこの母親は、まさに母親としては非常に懸命なので、なおのこと可笑しい。クロエがまともに反論しても全然聴きいれない点など、反抗期の時分を思い出して胸にキュンと来る感じである。その他の登場人物はこの映画では塵芥のような扱いなので、やはり監督はこの二人を映したかったのだと思われる。

 愛情のかけ方を間違いがちな母親に、少なからずの精神的な迷惑を蒙ったことのある娘は、絶対に見て笑える映画だと思われる。

Profile

F

Author:F
Mail:gokushitekimovie@gmail.com

最新記事

検索フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。