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『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(89点/100点満点中)

 映画史上ファックという言葉が最高回数使用されたこの映画は、事実、セックスとドラッグに塗れた一人の起業家の性的絶頂とドラッグ的絶頂、人生の絶頂とその地獄を描いた、爆笑必至のコメディである。

 株のブローカーを目指しウォール街に訪れたレオナルド・ディカプリオは、やっと仕事ができるようになったその日に世界最大級の恐慌に見舞われ退職を余儀なくさせられる。
 それでも彼を懸命に支える妻。

 しかし彼の野望は、職場が死んだ程度では死なない。
 郊外のボロ株を売るロクでもない証券会社に入り、そこで一瞬にして頭角を表す。そこから従業員数百名の巨大な証券詐欺会社を作るまでのドタバタと、セックスと、ドラッグと金。
 レオナルド・ディカプリオの俺様感は最高に気持ち良い。

 世界経済の崩壊の裏には、この欲望があったのだ。
 信じたい夢を信じさせてやり、成功する。その意味で、株のブローカーはある意味ロックスターやアイドルのようでもある。あくまでその夢は、最初から存在しない点が違うだけだ。

 電話先のクライアントに中指を立てながら営業電話をするシーンや、貸切の飛行機の全席で繰り広げられる乱交シーン、全く価値のない靴屋の社長を呼んでその株を売り込むように大統領級の社長演説を行うシーン、彼と警察が本音の探り合いを船上で繰り広げられるシーンなどは超ド級のくだらなさで腹の底から笑える。
 台詞だけで面白いという、映画の真ん中を打った映画でもある。

 なぜ笑えるかといえば、やることなすこと、それが男の真実に限りなく近いからなのである。
 この世で最も儲かる商売は、この世で最も頭の弱い人間を相手にした商売なのだろう。

 男はポルノを見る感覚で観れる。成人指定である。
 女は男の真実を学ぶ感覚で観れる。
 こんな男ほどモテる。最高の伝記映画である。

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『ブリングリング』(66点/100点満点中)

 強盗映画は数あれど、もっとオシャレになりたいから、とか、かわいい服とか靴が欲しいから、ただ部屋の中が見たかったから、という理由でセレブの家に侵入した嘘みたいな窃盗団ティーンがいた。あたかも渋谷109やラフォーレかルミネで買い物をするように、パリス・ヒルトンの家に訪問した二十歳前後の女たちがいたのである。
 それがこの映画の主人公である。これは実話ベースの映画だ。

 世界でおそらく最も有名なフェミニストの一人であり慈善活動家、そして事実頭も良い、しかも顔も世界で有数の美しさを誇るエマ・ワトソンが、煙草を片手、ウォッカのボトルを片手に、自撮りを繰り返し、クラブでとんでもなくバカっぽい踊りを繰り広げ、であるがゆえにとんでもなくエロい女を本作では演じている。

 ハーマイオニーによって青春を奪われ金が有り余った彼女がなぜこの役を引き受けたのか。
 一番分かっていないのは彼女本人らしい。
 「あたしはこの役が大嫌い」という最高に謎の宣言まで出している。

 が、おかげでこの映画に流れる爽やかな強盗シーンには、ソフィアコッポラ監督特有の独特の希死念慮のようなものと混ざって、どこか切ないのに爽快なシーンが続く。

 エマワトソンの母親役も人物像も面白い。
 娘に取り囲まれて、愛の説教をセレブの話を例え話にしながらする狂気の女だ。だが、アメリカ本土のどこかにいてもおかしくない女でもある。

 ブリングリングとは日本語にすればギンギラリンだろうか。

 ド派手な流行ファッションと豪華絢爛のブランド品の数々。そうして盗みを繰り返す女と男の、借り物の青春。しかし青春とは複製品であり手に入れられないものを手に入れようとする天体観測である。
 彼らの場合、それが星ではなく、セレブなだけだった。

 なんとも愛おしい強盗映画がここにある。

『ゼロ・グラビティ』(90点/100点満点中)

 宇宙飛行士が出てくる宇宙映画を見る時、鑑賞者が、それが映画だからという理由で見落としがちな、たったひとつの重大な事実がある。

 大抵それは直接的に描かれることはない。だがよくよく考えれば当然の事実だ。 
 宇宙飛行士は地球から遠く離れた位置に行っても、もはやなにも痛くないと思えるほど、地球で起こる出来事に関心がなくなってしまった、なんらかの過去がある、という事実である。

 帰る意味も、もしかしたらその必要すらも感じない者が宇宙飛行士になる。
 宇宙を対象とする行き過ぎた好奇心は、それと同化したい希死念慮に限りなく漸近していたのである。

 サンドラ・ブロック演じる主人公は、宇宙ステーションに勤務する宇宙飛行士だ。
 平穏な彼女の宇宙遊泳時、勤務先の宇宙ステーションはスペースデブリによって木っ端微塵に破壊される。

 開始十分で起こる絶望的状況。逃げ場はどこにもない。
 瞬く間に絶体絶命の危機に陥る。残された酸素は少ない。

 スペースデブリは地球の大気圏上を周回しており、また襲ってくることがわかりきっている。
 同じく生き残ったジョージ・クルーニーと生存を賭け、彼女は決死の生存に尽力することになる。

 宇宙服という閉所の恐怖と、トンと押されたらどこまでも遠くにひとり流れていってしまう、宇宙という無限広所と暗所への恐怖。
命綱がなくなっても、おそらくは一瞬で死ねないのである。
 宇宙空間の死のロマンとその本能に訴求してくる恐怖は、ここまでやるかというくらいその冒頭シークエンスに詰め込まれている。宇宙は怖い。その当たり前の事実から映画は逃げ続けていた。宇宙人だのエイリアンの話だのして逃げ続けていた。ただそこにある得体の知れない黒色が、ただそこに氷点下としてあるだけで怖い。この映画はそこから逃げないどころか、その宇宙の引力・無重力を徹底的にエンターテイメントに変えた。

 そうしてふたりが見る、地球の景色は、極めて美しい。
 ふたりとも、地球に帰る必要も意味もないと感じていたことが、ふたりの会話で静かに明かされる。

 主人公の彼女も元から帰る意味など感じていなかった。
 劇中死にかけ、事実死にたいと思うそんな彼女の元を訪れる、亡霊、そしてラジオの音。

 最後のタイトルコールは最高である。
 物理的に鑑賞後立ち上がることができなくなる映画の誕生であった。

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