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『渇き。』(49点/100点満点中)

 小松菜奈は、変な顔をしている。
 と書くと、小松菜奈にお願いされたら屈してしまうのではないか、という男ならではのありえない自問自答が出てくる。それでもこれが私なりの誠実な自問自答の方法である。そして、それでもやはり、変な顔をしている、と私は思うのである。
 いや、正確に言えば、なんだか変な様子をしているのだ。
 そしてその原因を考えた。不快なものについては突き詰めて考えざるを得ない社会学者のように静かに考えた。そして結論を得た。
 この顔はつまり、従来男に媚びまくるコンサバでモテまくってナンボだったエビちゃんや北川景子のような、真似しようと思えばなんとか真似できるような赤文字系のあの目鼻立ちがくっきり分かれた顔とは正反対の、いわゆる青文字系雑誌が血眼になって求めていた、抽象的で誰にも全く媚びないような、鬱なのか躁なのか、笑ってるのか怒り狂ってるのか、ちっともわからない、どこをどう見ても読み取れないモナリザ的な顔、そのものなのだ。だから女は「ああこれだ」と思う。カラオケで歌えないが、歌えないがゆえに好きな曲や好きなアーティストというものがいる。そういう存在が小松菜奈というわけなのである。そして男は、どうコメントしていいかわからないという顔なのだ。一言でいえば、その存在をもうなかったことにしたいような顔、というわけである。
 映画に出てくるのは初めてとも言われているこの顔が、本作の魅力の約半分を支える、かなり危険な構造を持った映画が『渇き。』である。本作は、この顔に振り回された人間たちの話なのだ。そしてこの存在をもうなかったことにしたい、という人間たちが殺し合う映画でもある。
 本作には、監督の従来作である『告白』の冷たさはない。『下妻物語』のようなキッチュさもない。ただ暑苦しい統合失調の父が、失踪した娘を捜索するうち、その娘である小松菜奈が警察も暴力団もギャングも殺し屋も全員を敵に回す完全な巨悪であったという真実に到達する。その過程では血まみれで煙草を吸いながら叫び散らす、『私立探偵濱マイク』的なあの探偵映画の風情である。
 この映画はしかし、その探偵的な魅力や、物語の魅力はないと言っていい。小説の映像化をしたからといって、その物語が魅力的かどうかを見てしまっては、映画を見る意味などないのだ。しかしこの映画には小松菜奈がいた。このめちゃくちゃ危なっかしい子の周りに、めちゃくちゃ舞台的な演技をする馴れまくった俳優たちが、安定の気色悪い演技を繰り広げる、悪趣味に悪趣味を重ねた笑える映画である。そんな風に能動的に味わうべきだったと気づいた時には、映画が終わりになっている、なんとも後味がよくない映画である。
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