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『オデッセイ』(10点/100点満点中)

 数学ができない。物理ができない。化学ができない。国語だけはできた。というような乙女が見たら、泣きをみるような映画が公開されるのは非常に珍しい。なぜなら映画好きとは乙女であり、そして映画は乙女のために作られているようなものだからである。それでも乙女にだって限界はある。

 『ゼロ・グラビティ』や『インターステラー』などの宇宙漂流映画が空前の傑作続きであった近年、その流れで出てきた当作品『オデッセイ』が引き受けていたハードルは尋常ではなく高かった。そしてこの知的な映画を知的に楽しむにはどうも非常に安定した精神や理系的素養や興味・好奇心がなければいけないと痛感したのである。
 宇宙映画に求めていたものがこんなにもわがままなこちらが申し訳ないと思ってしまったくらいに、である。

 地球へと帰る予定であった探査船は火星からの脱出時、砂塵に巻き込まれ、マット・デイモンを吹き飛ばしてしまう。
 死んだと思われた彼は、そうして火星に取り残される。しかし彼は生きていたのだ。
 
 男は前代未聞の規模で、孤立無援となる。
 残された研究用機材を活用しなければならない。生き延びなければならない。
 そして明らかに不足した酸素や食糧をどう生成し、さらには地球への帰還のためにいかなる手はずを踏むかという決死の挑戦がこの映画の主題である。

 しかしこの男は、めちゃくちゃ頭がよい。

 男は天体的な孤独を紛らわすため、と同時に、最後の遺言を残すかのように、もっと言えば、なんだかわりとノリノリのユーチューバーのようにその生存方法を克明に映像に残していく。それがこの映画の流れとなっている。
 主演のマット・デイモンはその代表作ではボールペンでスパイを刺しまくったり、よくわからない分厚い本を叩き付けることで屈強なスパイをもふらふらにさせるくらいに強い男だが、そもそもあんまり表情に変化を持たせることのできる顔つきでもないので、彼が火星でなにを考えてるかという演技の妙はないに等しい。彼の思考のすべては彼の台詞と直結している。だからこそ演技を楽しむというよりシチュエーションを楽しむに近い。イケメンとのデートというより、イケメンとなんか意味不明の場所に一緒にいることを楽しむ、という感覚に近い。
 
 繰り返すが、彼はとっても頭がよいのである。感情移入をしようにも、できないくらいに頭がよいのである。
 だからもう、生き延びるだろうなこいつは、って予想が大体開始十五分でついてしまう。
 生き延びるまでになんかいろいろなことが起きるだろうけど、こいつはたぶん生き延びるだろうなという直観は、映画の死だ。
 なんだかめちゃくちゃ頭がよいということは、こんなにも物語を追う気を失せさせることに自分でも驚いた。

 学術的考証はガチらしい。ガチらしいがそんな固いことは知りたくなったら本で読むから、映画では知ったこっちゃねえ。
 と思って斜に構えてたら、まさに学ばざるものに知の快楽はないとでも言うべきか、一瞬にしてこの映画は終わってしまった。

 こうなることを、予告編で予想していなかったのは私が疲れていたからかもしれない。
 しかしリドリー・スコットの意地悪さは、今回鳴りを潜めていて、ただただNHKがちょっと金をかけて作った仕上がりのような健康的精神が映像の随所に宿っている。
 宇宙に残された男を待つ、地球の数十億人の人々、という描写は健康的過ぎて逆に恐ろしくなってくる。たしかにそうなったらそうなるかもしれない。地球はひとつになるかもしれない。でも、だ。映画でそんなものは見たくないのだ。千八百円払ってそんなウィアーザワールドをやられるくらいなら、チョコボールを30個買った方が精神への費用対効果は抜群に高い。

 宇宙に取り残される恐怖は『ゼロ・グラビティ』の方が、宇宙から地球へと帰還するその難易度はファンタジーとしても『インターステラー』の方が格段に上だった。
 TSUTAYAで借りて見たとしても、時間の無駄に感じたと思う。
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