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『火花』(90点/100点満点中)

 中央線に感じるノスタルジーには身を引きちぎられそうなものがある。吉祥寺や高円寺や中野荻窪に私は住んだことがない。しかしなぜか途方もなく懐かしく感じるのだ。
 この場所が形成した文化や曲によって、東京に呼び寄せられ飛び出てきた人も一定数いるに違いない。
 誰も気取ってはおらず、かといって温かい訳でもない。完全な他人でもなく、そしてそのまま他人でありたいともどことなく思わせない。中央線には山手線の中には決して形成されなかった悲哀があると感じるのだ。そしてもう二度とそれに触れることができない悲哀を、あの方向へと伸びる東京の路線図を見る度私は思い出すのだ。

 ドラマ『火花』は、一個の映画のような出来である。なのでここにレビューする。
 地上波ドラマとこの系統のドラマが決定的に違うのは、ほとんどの撮影をゲリラ的に行った点にある。通常、スポンサーと競合する企業の名前が付いた商品や看板は絶対に映してはならない鉄則が『火花』には適用されない。だから、東京が東京のままであり、ただ主人公が歩く街並みをそのままにカメラは追うことができるのである。この利点は大きい。映像には、リアリティしかないのである。

 売れない芸人である主人公は、一人の先輩芸人と夜の花火大会で偶然出会う。余りにも世俗とかけ離れたその芸風に完全な才能を認めた主人公は、その先輩と何度も会う内に、次第に売れ始めるようになるのだが、という物語。

 『火花』は芥川賞を受賞している。
 有名な芸人が受賞したことにより文壇への批判は当時轟々となった。商業主義だと叩かれたのである。が、原作『火花』はまさにその商業主義と髪をかきむしりながら、仲間を殺しながら、そして自分や先輩をも殺しながら戦う一人の青年が主人公の話なのだ。当時の批判は、筋がまったく通っていない。
 
 同じように、この『火花』の主人公はなにも筋の通らない芸人の世界でもがく。自分の信じたものが受け入れられず、自分が憎んだものが受け入れられていく芸人の恐ろしい現実が、たとえば楽屋裏の舞台や舞台終了後の飲み会、中央線の街並みや新宿の冷たさを背景にして繰り広げられる。これは芸人の話でありながら、なにかを作らんとして絶望するどこにでもいる若者の話であり、そしてやりたいようにやるのがいかに難しいか、好きなことで生きていくのがどれほど難しいかという話でもある。あらゆる不条理に揉まれながらも、信じていたものが壊れていく姿に涙を溜めながらも、それに対して悪足掻きをやめない主人公は、まさに花火を夢見る、線香花火の火花のように頼りなく、そして美しい。

 鑑賞後、くだらないテレビをつけてみる。そこには芸人がばか騒ぎをして笑っている。
 しかし、くだらない芸はあっても、くだらない芸人など一人もいないと感じさせてくれるのがこのドラマである。

 映画と言うにはあまりに長い作品だが、『火花』は完璧な東京百景だった。
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