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『アデル、ブルーは熱い色』(74点/100点満点中)

 藍色は肌色に似合う最も淫らな色だと聞いたことがある。色彩的に藍色と肌色は真逆の色であるがゆえ、最も互いの色を綺麗に見せることができるらしい。また藍色の服は夜に見ると黒色にも藍色にも見えるらしく、これがまたセクシーだという論者もいる。かつて私のランドセルは水色だった。そして赤色も好きだった。しかし歳を経るにつれてだんだんと純度が低くなり、深い青や赤が好きになっていくのは不思議だ。なぜそうなってしまうんだろう。

 本作は、R18指定の同性愛映画だ。性描写が過激である。しかしそれ以上に、メインのストーリーがあくまで極一般的な恋愛ということに最たる過激性が宿る。
 物語は、青い髪の芸術家の女に惚れてしまった、ごく普通の女の話である。

 左利きの人と同じくらいいるという同性愛者が、たとえ愛の国フランスでもいかに生きづらく、であるが故にいかにその愛は熾烈な孤独の強度を獲得してしまうか。
 そしてそんな中で堂々と恋愛を行う青い髪の女はいかに主人公にとって逃れがたい存在となってしまうか。
 レア・セドゥの眼光自体がR18の危険を放ち、純真な主人公は口を半開きにしたまま真っ逆さまに彼女に落ちていく。

 長い本編のどのシーンを切り取っても必ず青色の物体がある。この演出はまず真新しい。
 ハイスクールティーンの同性愛の絶望を描いた先行作品には邦画にも『blue』がある。なぜそういう映画がタイトルにも劇中の色構成にも青色を取り入れるのかを考えるに、いかに主観的な恋愛も同性愛は常に客観的な他人の目線=脅威が付いて回るからかもしれない。
 その恋愛は、深赤にまで落ちきれない。冷静さを失えないという青の絶望がそこにある。

 
 同性愛者の知り合いに直接聞いたことはない。しかしBLやレズビアンをテーマにした作品は、あまつさえ真摯な愛をただただその愛の当事者にはなれないしなる気もない者が興味本位で消費する構造を作りがちだ。だから触れることにかなりの神経を使うものである。そうであるがゆえに、いつまでも同性愛者を同性愛者というカテゴリに縛り付けかねない。同性愛もいいよね、という最悪な見解を形成しかねないのだ。だからこそ、この映画は最初から最後まで大真面目に二人の女を写し取る。

 主人公とレア・セドゥの間には、愛こそあるものの、主人公にはレア・セドゥが最大の情熱を注ぐ芸術を理解したり賞賛できる共通言語のコードがない。であるが故に、彼女の作ったものを彼女と同等のように愛しているとは言えない、そんなほろ苦いサブストーリーが微妙なカーヴを描いてこちらの心を締め付けてくる。

 全編に撒き散らされた青色の正体とはなんなのか。
 この議論を見たもの同士で小一時間できる、そんな哀しい恋愛映画である。
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