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『シン・ゴジラ』(85点/100点満点中)

 世界史や日本史の講義は退屈だった。なぜ退屈か。なぜ頭に入らないか。当時の私は当然のことながらそれぞれの教師のせいにしたが、毎年どこの馬の骨とも知らないしどこへ行くのかもわからない若者に、世界史や日本史を叩き込む大人の気持ちになってみたら、「淡々と説明しても食いつくような知性を持った人間を相手にしたい」と思って当然なのである。だから彼らは生徒と目を合わして歴史の授業をしようとはしない。彼らの授業はまさしく神との対話のようである。しかしそれがいま大人になって思えば、最も正しい教授をする側の心的態度であったと振り返るのだ。
 現代人がほとんど追い切れないほどの莫大な過去を持った本作のゴジラ、そしてなんとなく育ってきた若者にはやはり追い切れないほどの莫大な過去と実績を持った監督とが、巨大な爆弾を一個作って日本という市場に放り込んだらどうなるかという贅沢な実験はまさに強烈な先例を聳え立たせることになった。
 世界崩壊映画はその世界崩壊の具体的事件のスタートまで上映開始から通常三十分は持たせるが、本作は開始五分で台場の向こうの海は血の色に染まる。劇中の死傷者数を画面右上横でカウントダウンすればカウンターは延々と回り続けるような事態で展開される一方、首相を一とする国内政治家と閣僚官僚との見たこともない舌戦の応酬が都内で繰り広げられる。恐ろしい速さで、恐ろしいほど長い会議名が明朝体で示されては消えていく。この映画の主演は、『MOZU』でチャオと叫びながらロケットランチャーを振り回していた変態ではない。あくまで、この国の行政主体なのである。
 しかしこの国の権力と知性の総力を持ってしてでもゴジラは東京に出てくる。
 
 このゴジラは、もう最高である。サラリーマンの味方、でしかない。
 まず東京大田区という一般人は好きとも嫌いとも言えない絶妙な地域をゴジラはクネクネしながら破壊して、思い出したかのように海に帰ったかと思えば、今度は鎌倉・目黒というオシャレでイライラするしたぶん裕福なブルジョアが住む場所というもう映画のような大衆娯楽を愛する者としてはどうぞどうぞどうぞよろしくお願いしますと言いたくなるような街を破壊しながら突き進み、締めは赤坂・新橋・銀座・国会議事堂前というビジネスマンなら一度は最悪な目に遭ったことがある街を子猫のような真っ直ぐな純粋さで的確に殲滅していく。途中でなんかアメリカっぽいのが映った気がするが、ゴジラは主権国家の主権を行使してくれる。その偉大なる愛情たるや『堕落論』的とも言える。
 しかしこの映画の魅力は、そんな日本の贅を尽くした破壊対破壊兵器の描写にとどまらない。生き残った官僚は、客観的なエビデンスに基づいて最も合理的と思われる攻撃方法を導き出し、実践し、それが妨害されたとしてももう一度ゴジラへと繰り出す。淡々と理知的にデータを回収し解決法を試行するどうあっても絵的には美しくならない光景が、この文脈で淡々と語られる異常さ。まさにこの映画が作られた最大の理由になっているといっていい。労働讃歌のようである。
 と同時に、見たこともない角度でこの国の「絆」やら「愛」や、そして映画産業最大の敵ともいえる「恋愛なるもの」は否定されるのだ。
 最後の戦闘シークエンスは、日本の実質的な第1次産業とすら言える「鉄」や土建産業が見たこともない動きで見たこともない攻撃を繰り出し華々しく散っていく。この際、石原さとみがどこまでもイラッとくることなどどうでもいい。間違いなく15点減点の要素となった彼女ではあるが、許そう。
 そうして我々はいつかは兵器になりえるものに兵器として乗って、明日も戦おうと思いながら、劇場を後にするのである。
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