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『何者』(80点/100点満点中)

 就活は、何者にでもなれる最後のチャンスであり、そうして何者にもなれそうもないと絶望する最悪の時期でもある。あれは一体なんだったのかと振り返れど、なんだったのかちっとも分からない。五歳の時からパイロットを目指して、飛行機のエンジン音を聴いただけでその機体がどこのなんの飛行機かを言えて、夜の羽田空港の夜景が美しいから、と私をドライヴに連れて行ってくれた友人がいた。鼻の骨が曲がっていたら身体試験に落ちるから。といい鼻骨の手術まで受けた彼は、航空会社の最終面接にすべて落ちて、今は千葉でバスの運転手をしている。私はなんだかすべてがばかばかしくなったのを覚えている。
 就活への呪詛、欺瞞への弾劾は、もうすでに語り尽くされたかもしれない。
 しかし本作『何者』は、その就活への呪詛を、そっくりそのまま、現役の大学生たちに投げ返す爆弾のような映画である。青春群像劇というより、ホラーに近い。主人公の大学生を演じる佐藤健が抱えた真っ黒な闇は、もうあまりに救い難い。それでいて誰もが持ち得る闇なのだ。その闇の精度と強度が高過ぎる。その闇は、一見最も社交的でありながら、最も反社会的な何かなのだ。

 『何者』の登場人物はみな就活生だ。
 それぞれがそれぞれの熱量や虚栄を持って就活している。その登場人物も典型的だ。ツイッターで頑張ってますアピールをやたらとする奴、帰国子女としての価値を完全に活かし倒してやろうとする女、悪態をつきながらなんだかんだ飾らず就活して上手くいく奴、就活なんてしょうもねえと笑いながら小説を読みふけってクリエイター気取りをキメる男。
 その面々は痛々しさがぶすぶすこちらに突き刺さってくる超リアルな大学三年生たちである。はっきり言って現代の就活を前にして特になんの取り柄もない男女が取れるアクションはすべてこの登場人物たちが取ることになる。

 主人公の佐藤健は演劇サークルに所属していた。しかし、いまは引退し、就活に専念しようとしている。
 
 そんな彼らと佐藤健は、ひょんなきっかけで就活対策本部なるものを結成する。
 主人公はあくまで良い奴だ。佐藤健は友達の相談に乗ってやったりちょくちょく周りの動向をツイッターで確かめたりと、なんだかんだ周りが見える良い奴なのだ。
 しかし劇中の彼の目はどこまでも虚ろだ。誰といてもふとした拍子にスマートフォンの電源をいれ、他人のツイッターやブログを無表情でチェックする。その間がいちいち恐ろしい。あくまで自然な素ぶりなのだが、ここまで多くの回数、劇中スマホをチェックする登場人物はジャックバウアーを除いて本作が初めてではないだろうか。注目すべきは、彼がスマートフォンを開くタイミングが、全く脚本の文脈上関係ないタイミングであるということである。そうして目の前の景色から目を逸らした後、主人公は友人たちの会話へと何食わぬ顔で戻っていく。
 
 そんな一瞬の佐藤健の演技は、猛烈に制御されている。るろうに剣心は男前が男前として頑張っている映画だとすれば、この佐藤健はただの平凡な大学生がただの平凡さを一生懸命装うのである。まるで真逆の論理で動いており、そこに本作の恐ろしさがある。一挙手一投足に、今にも爆発しそうな殺意のようなものを主人公は隠匿しているのだ。
 強烈な悪意は静かに執行されるものである。彼が友達を見る目。応援しているように見えて痛罵しているようにも見える。話を聴いているようでまったく聴いてないようにも見える。頷いているように見えて憤怒しているようにも見える。同情しているように見えて笑いを噛み殺しているようにも見える。そんな危険な移ろいが、彼を劇中、就活生として、大学生として、もしくは一人の人間として、最も恐ろしい悪魔なのだと証明されるまでの過程は非常にスリリングで、哀しい。

 この映画は就活に対して、一見なんらの回答も用意しない。しかし本作は、佐藤健という、やりたいことはわかっているのに、そのためにやれることが見つからないしやることもできない、他人のだめなところはすべて見えるのに自分のどこがだめなのからまったく見えてこない、どこにでもいる大学生を描き、強烈な断罪を加えることで、真っ当な人間に帰らせようとするかなり痛烈な教育映画でもある。
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