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『キャロル』(85点/100点満点中)

 クリスマスシーズンの百貨店でサンタハットを被りながら贈り物ギフトのコーナーで売り子のバイトをしていたら、毛皮のコートを着て赤い口紅を引いた金髪の完璧なケイト・ブランシェットが突然やってきて、ギフトにはなにがいいかしらと訊いてきたた後、あら、その帽子可愛いわね、と褒めてくれた日には、自分が男であろうが女であろうが膝から崩れ落ちてしまうに違いない。気品と自立と悲哀に溢れたその女は、しかし愛用の手袋をレジの前に置き忘れて行ってしまった。彼女が既婚者であることは短い会話の中でもう分かっている。どこにでもいそうな女ではない。どこをどう探してももう絶対にいない女である。自分は女だとする。さて、どうするか。もう、どうしようもないのである。

 本作は女同士の恋愛映画である。
 華美な金色が眩しい装飾品、五十年代のどこか朽ち果てたようなボーカルジャズ。
 その風俗からして同性愛が精神疾患として取り扱われてしまう時代、いかに愛し愛された女同士が添い遂げるかを極めて丁寧に描き切る。

 劇中、レズビアンという言葉を誰も使用しない。
 それは脚本の明確な意図か、原作に忠実か、当時の時代言語に配慮してなのかは分からない。
 しかしこの映画は恋愛映画であって、同性愛の映画ではないのだ。

 あるいは恋愛映画とすらも言うのも不安になるほどにこの二人は、互いへの愛をひとりで真っ当しようとし続ける。過度な性描写はないのに呼吸を忘れるほど主演の二人が官能を獲得しているのは、セックスシーンを除けば、この二人は無駄のない会話と、無駄のない手紙と、ただ一瞬間相手の肩に触れた甘い時間、あるいは一瞬間相手の瞳から目を離せなくなった離れがたさ、相手が自分への肩に手を触れたその瞬間に目を伏せるしかなかった現実への抵抗、といったように、相手との甘い一瞬を永遠として反芻しようとする熾烈な片思いを維持し続けるからである。まさに片思いし合う同士しか恋愛には到達し得ないと言わんばかりに。だんだんと台詞が少なくなっていく二人の恋愛は、それでいて現実的でもある。

 ケイトにもルーニー・マーラにも互いに男がいる。しかし男は彼女たちの溜息に値しない。それはなぜかと言うに、相手がケイト・ブランシェットだからであり、ルーニー・マーラだからである。相手の所作や一言一言がただ完璧だからである。男のせいではない。むしろ、それを優雅に越えてしまった魅力を持つ女のせいなのである。どれだけ男がこの世に溢れかえってもそれは全く意味のない事柄なのだ。

 甘さも極めると、とっても上品なものだということを我々は知っていて、高級なチョコレートがもし映画となると本作のようになるだろう。
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