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『永い言い訳』(65点/100点満点中)

 愛する妻が死んでしまうという映画はよくある。しかし愛してない妻が死んだ映画は本作が初めてだと思う。前者が悲劇なら、後者は一旦喜劇の体裁を取るだろう。妻は夫を愛していたが、夫は妻を愛していなかったという物語もよくある。しかしこの喜劇はそんな火サスの茶番すら用意しない。死んだ妻にすらこの夫は愛されていなかった。悲劇を突き詰めると喜劇になるが、喜劇も突き詰めると完璧な悲劇になろう。
 世間に名声を確立させ今はテレビのクイズ番組に出て業界からディスられている現役の小説家である本木雅弘、その妻である深津絵里は、東北への旅行先のバスの交通事故で冒頭に死んでしまう。その時本木雅弘はリップヴァンウィンクルの花嫁とやりまくっていた。そうして軽やかに迎えた妻の葬式では本当か嘘か分からないような修辞だらけの妻への弔辞を読み上げながら嘘泣きをかまし、バス会社への被害者遺族による抗議集会ではどこか冷め切った佇まいで他の怒り狂う当事者を横目に取材陣に適当な中立論を並べ立てる。家に帰ったらグーグルで自分の名前+可哀想、だなんて単語で検索するような本木雅弘は最高にクールだ。やってることはめちゃくちゃ格好悪いのにめちゃくちゃルックスが良いので、なにをやっても最高にかっこいい。それでいて文筆家風情のニヒルな現実への処理態度が、ことごとくコケティッシュで可哀想なのである。愛していないはずだった妻が、バカみたいに軽く死んだことによって、だんだんと重苦しく彼に襲いかかってくる。
 可哀想な人間とは自分が可哀想だと全く気づいてない人間であり、この物語は、そんな人間が一番自分が可哀想だと自覚していく話なのだ。

 今年一番映画館の席にいる周りの観客の年齢層が高い映画だったかもしれない。

 生きる理由も死ぬ理由も特にない、そして書く情熱すら奪われ、妻を悼むことすら演技がかってしまい、そしてそんな演技が世間から事実求められてしまう、泣くに泣けない男が、いますぐに誰かに必要とされるために採る太宰治ばりのありとあらゆる作戦、誠実、姑息、卑怯、いじらしさ、それらを怒涛のごとく本作は描く。誰かを身を削って支えようとするのは、自分を支えようとする強度を逆接として獲得するためだと気付きながら、それでも死なないように、そして生き過ぎないように、ちょうどよく生きようとするのに生きられないこの主人公は、猛烈に孤独になっていく。

 監督が小説の原作を書き下ろし、それを自身で映画化しただけあって、映像と映像の間に莫大な言葉を沈ませたような表現が目立つ。
 であるがゆえに、この描写はもしかしたら小説で読んだ方がより深度の高い理解ができたのかもしれない、という考えがついつい浮かんでしまうことが多かった。

 邦画の質感として完璧すぎて、なんだか残る、が、共感する層がとても限定的なようがしてこの点数である。
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