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『シン・シティ 復讐の女神』(30点/100点満点中)

 我々はエヴァ・グリーンという、すぐ脱ぐ女について考察しないわけにはいかない。

 エヴァ・グリーンは『カジノ・ロワイヤル』のボンド・ガールである。
 眼つきが狂暴で悪役の風情。贅沢な黒髪。どこか幸が薄そうで暗い声。どっからどう見ても美人で、脱がなくてもやっていけるのに、映画ではバンバン脱ぐ。『300』の続編でも脱ぎまくって『300』のあのいつ死んでもいいホモセクシャルの論理とストイシズムをサークルクラッシャーよろしく台無しにした功績には度肝を抜かれた。バンバン脱ぐ。つまりそれはある意味男への絶望である。男社会、映画業界への絶望でもある。

 中年がバカみたいにかっこいい『シン・シティ』、その続編の本作でも彼女は脱いだ。
 これしかやることがないと言わんばかりにあのモノトーンの世界観であのバストをスクリーン上に晒した。全く脱ぐ必要がないのに、である。ヌード界のジェイソン・ステイサムである。エヴァ・グリーンと言えば脱ぐ、というイメージが完全に脳裏にこびりついているため、あたかもいつかは死んでしまう母が帰省する度にだんだんと老いていくのをまざまざと確認してしまうかのように、彼女の裸体は切なく私の目に沁みるのであった。

 『シン・シティ』続編は、そうしてエヴァグリーンが理由不明に脱ぎまくることによって、他の俳優の頑張り具合が全く頭に入ってこない、奇跡のような展開で、駄作になっている。

 脱ぎまくると言えば、私服で露出度の高い人間が私は苦手である。彼女たちの魂胆は分かる。
 あれは商品の陳列のようなものなのだ。世界への礼儀のような、あるいは露出されることで自己確認がなされる何かである。つまり露出されていることを男は否応なく確認する。男に確認されることによって男はつまらんと当人に確認される。こうして男女のどうしようもなさが世界に固定される。ナンセンスである。このいたちごっこを断ち切るにはどうすればいいかと私は考えに考えた結果、街行く女には一瞥もくれないという解決法を20歳の頃から実践した。そうすることによって初めての恋人にはゲイだと思われた。

 つまり何が言いたいか。
 一瞥もくれてやらないことがシン・シティの美学である、ということである。
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