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『暴力教室』(60点/100点満点中)

 現代、松田優作の映画が現代人に突き刺す教訓めいた教訓なんてものはもう一ミリ足りとも存在しないと思う。
 松田龍平が松田優作と全く違うのは、あるいは全く無関係の人間に見えるように志向したのではないかとすら思えるのは、まさに平成と昭和のあるべき男性像を象徴するようで面白い。よく笑いよく泣きよく怒る松田優作は、オードリー・ヘップバーンと同じなのだ。
 危ない刑事の片側の人が不良生徒役を演じており、それが暴力上等の教師松田優作とファイトする。極小規模な教室や放課後でのフィストファイトの果て、ついにはその学校の理事長の不正行為、教師へのレイプ、松田優作の妹の死まで問題が発展し、最後は学校が燃えて理事長が日本刀を振り回しながら松田優作と戦うまでが描かれた、可愛い青春群像劇である。教師の体罰がどうだとか生徒の不良化がどうだとかいう話は、平成にはもはや遠い花火のような話だ。松田優作の映画は松田優作がカッコいいこと以外に存在価値がないので、それでいいのだ。
 驚いたのは、松田優作の身体の動かし方だった。人を殴るシーンで、彼は拳を振り切って全身のバランスを崩しては倒れ込む演出だった。つまり、かっこ悪い殴り方というのが延々と本作では披露されるのだ。
 今ではそういうオラオラした映画でそういう身体の動かし方をするのは当然のように思えるが、その系譜を辿れば、この映画での彼の身体演出が初めてだったんじゃないのかと思えた。そうじゃないかもしれないけど。

『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』(85点/100点満点中)

 猫か犬かと言われたら猫派だ。かと言って、犬が嫌いなわけではない。と言うより、犬好きの人間を好きになれないのだ。首紐を犬に付けて犬を振り回し、そうして犬に言うことを聞かせようとするその薄っぺらい傲慢さ。その程度の主従関係で保たれる愛に真実などあろうかと思うわけである。そんな失われた犬の尊厳を圧倒的なタッチで復権させようとする本作は、犬が犬のままに人間社会に反旗を翻す、壮絶な暴動映画、テロリズムの映画である。
 少女に飼われていた気弱で寂しがり屋な犬が一匹、ひょんな事情で捨てられてしまう。もとい雑種を飼うにはわざわざ納税しなければならないディストピア社会で、街の片隅の廃墟には野良犬と雑種犬とがうろつき、それを動物保護担当官が警棒片手に追い回すという次第だ。
 そんなこんなであっという間に飼い主と離れ離れになってしまった犬は、その気弱さと警戒心で、野良犬同士なんとか上手く生きていこうとするものの、今度はひょんなことで闘犬育成家に拾われてしまう。そこからの犬の運命はまさに不条理を極める。闘争心や服従心を植え付けるために餌はまともに食べさせてもらえず、食べさせてもらえたとしてもそれは走り回されながらで、挑発され脅されバカにされて暮らし、ついには温厚そうで間抜けな顔つきまでもが、敵愾心を剥き出しにした凶暴な犬のそれへと変わってしまうのだ。そしてこの映画の異様な点は、その犬の演技が限りなく演技に見えない(というか演技指導というものがそもそもあったのかどうかも、あったとしてそれが犬に伝わっていたのかどうかも分からない)点だ。ガチで犬一匹が獣へと帰っていくのである。
 同胞を試合で殺して脱走した犬は、元の街に戻るも、すぐに保護施設に入れられてしまう。そして犬の犬による犬のための都市破壊計画が進められるという粗筋だ。
 御利口なのか愚鈍なのかわからない主演の犬の顔は、最悪な展開を乗り越える度に演技が達者になっていく。人一人殺してからの顔つきと言ったらもう殺し屋のそれだ。犬が本来的に怖いのは非常に感情的な生き物だからだが、ついにはその感情すらも失った犬が一番怖いのである。
 だなんて真剣に書いてみたが、これはそういうシリアスさから目を背けたとしても、これは完璧なコメディ映画である。犬が保護官の首を引きちぎるシーンは、夏の甲子園に飛ばされるホームランのような爽快感であり、犬が機動隊に撃たれまくるシーンではどこにどう感情を持っていっていいかわからない複雑な思いが胸を去来する。
 誰とどんなシチュエーションでみても盛り上がる映画というのはそうそうあるものではない。主演の犬がなんとも言えない顔というのが本作の数ある魅力の中でも、随一の魅力と言える。

『ライト/オフ』(75点/100点満点中)

 真夜中でも現役の軍人のように機動力の高い盲目の老人、その一夜の爽快な活躍劇であった『ドント・ブリーズ』に対して、本作は、電気のない暗闇であればあらゆる物理法則も場所も無視して、昼夜を問わず人間を襲うことができる、そのシルエットも行動原理もドス黒い幽霊が出てくる。とっても挑戦的な設定で、その恐怖は明朗で面白い。
 電気を消して眠ろうとしたら、なんか部屋の隅にも天井にもベッドの下にも誰かがいるような気がする、という一瞬の生理的恐怖。それだけで映画を一本作ってしまった、という感じだ。
 しかもそれは自分の思い込みであるから、この幽霊を殴っても撃っても閉じ込めても逃げても、なんら現実の解決にならない。そんな由緒正しいクラシカルな幽霊の設定は、最後の最後までオチを予想させない。しかも幽霊は襲う時、ギャーと言う。ギャーと言わんでもいいのにギャーと言うのは、葉隠の武士道を弁えた幽霊、その証左である。
 そうして画面のちょっと暗くなったところにも現れるのか現れないのか気になって仕方なくなるので、なんてことのないシーンが全くないということになる。ホラーはもう、一秒足りとも油断させないのが常識となっているが、百年後のホラー映画はどうなっているんだろう。
 本作の幽霊はたった一つの弱点を除いて、非常に有能な幽霊であるから、アベンジャーズやスーサイドスクワッドにでも加入した方がいい。ホラーは一騎打ちが基本だが、多勢の幽霊が多勢の幽霊と戦う、バブリーな映画もその内期待できるのかもしれない。

『ネオン・デーモン』(50点/100点満点中)

 公開初日の初回上映時に、そのシアタールームが満席かどうかでその映画への期待感が分かるだろうし、その席にいる人間たちの平均年齢が高ければ高いほど映画監督への信頼感が高いということが分かる。その点、本作は作品への期待も監督への信頼も非常に高いものだったのか、主人公は女の子の物語であり、しかもファッション業界の話であるのに、私の周りは私を含めて、大量のオッサンとオバサンばかりが肩狭しとTOHO新宿の中に並んでいた。
 主人公は十六歳の女の子。新人のファッションモデルとして、その自然体の美貌と純真さで彗星のように業界に現れ、瞬く間にメイク担当に気に入られ、エージェントに気に入られ、カメラマンに気に入られ、業界の重鎮に気に入られ、八頭身の完璧なベテランモデルたちを爪楊枝のように吹っ飛ばし、ロサンゼルスで一瞬にして頭角を表すその過程で、その内面の純真さをも喪失していく様子が、監督の気色悪いあの青と赤のアシッド演出の元、大量の血と死姦と食人シーンとレズビアンシーンを怒涛のごとく交えながら描かれ、観客全員をドン引きさせて唐突に終わる、この監督だから許される系統の映画が本作である。鑑賞後に頭痛、食欲の減退は必至であり、ついでに私の場合は頭痛が発熱するにまで至った。生理的には、最悪な印象の映画である。
 物語自体は洋製ヘルタースケルターとでもいうべきだが、本作の主人公は沢尻エリカと言うより水原希子である。
 整形なんて最初からする必要もなかった程の美人が、そういう業界に入った時、整形しまくってハートも顔面も彫刻のように人工美を極めた、それでも内面は獣のように狡猾な美人たちに囲まれた時、ただそこに彼女たちが対峙するだけで、どちらかが即時に暴力を引き起こさずにはおれない北野映画のようなあの暴力空間が、たとえばパウダールームやクラブのトイレやオーディション会場でひょんな会話から繰り広げられる、女同士の戦争を監督は嬉々として描いている。監督は女子校に入りたかったタイプの男の子であることに間違いないだろう。
 あくまで主人公は水原希子に置きながらも、服を買い換えるように整形し、それでもその努力が全くと言っていいほど裏目にでるモデルが、本作のかなり重要なプレイロールを担っている。
 骨を削り、肉を切り取る、という生理的恐怖に打ち勝ち、さらにはそのための投下資金を用意でき、その資金を倍々にして回収できる頭の良い人間のみが彼女たちのように整形できる。しかもそれを職にできる。しかしなにもしないでも美しい新人、ひいては若い子というものに対して、どう折り合いを付けるのかという諦観がそこに用意されていなかった時、これほどまでに激烈な行為に走るのか否か。
 その命題に対する説得力よりも、本作は相変わらず絵がグロテスクで美しく、監督にとっては筋だなんてものの優先順位は限りなく低いのだ。この映画は論理的に見るべきではない。そして論理を捨てて鑑賞するには、本作の場合、頭痛を避けては通れない。

『レジェンド 狂気の美学』(30点/100点満点中)

 英国に実在した兄弟ギャングを、トム・ハーディが一人二役で演じており、兄は統合失調症で口が悪く同性愛者にして暴力上等派のギャング、弟は穏健派の金儲け主義で恋人を大切にするがいざとなったらやはり暴力上等派、という魅力的なキャラクター設定がなされたのが本作である。男の子の好きそうな感じをバンバン出している。もちろん男の子として見た。
 しかし本作は、脅迫と睨みを利かせ合うクラシカルなギャング映画では決してない。
 冒頭から終盤までイギリスらしい気の利いたウィットと肩の力の抜けた台詞回しで、描かれるのはギャング同士の抗争や組織的成長というより、兄弟同士の拭いがたいギャング運営方針の違いと、それでも互いを他の誰よりも大切にしようとする、まさに血の香りが濃厚に漂う家族愛である。ギャング映画のあの一触即発な感じが好きな人や、俺の友達に挨拶しやがれ感、または兄弟姉妹のことをなんとも思わない、精神的に一人っ子の人間が見ても、特に真新しい情報はなんにもない、ほのぼのファミリー映画である。
 狂気とか美学とかレジェンドとかそういう話は一切出てこない。トム・ハーディのぶ厚い唇がセクシーっぽいのと、トム・ハーディに惚れる女がなんとかトム・ハーディを一般人にさせようとする展開、そしてトム・ハーディも頑張るもののやっぱり投獄され、釈放されても弟か兄のどちらかが下手をやらかしてまた同じことの繰り返し、という展開に、強烈な眠気を齎される映画だった。

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